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吉野の桜




ながむとて
花にもいたく
馴れぬれば
散る別れこそ
悲しかりけれ





ずっと花を
眺めているせいか
花に情が
移ってしまい
花たちと
散り分かれゆくのが
悲しく
おもわれることだ





西行
















吉野山に
参りました。





桜も満開で
山は桜色に
彩られてぃます・.+゜




ソメイヨシノの
“ヨシノ”とは
この吉野の桜の
“ヨシノ”なんです。



染井村あたりが
(現在の豊島区駒込)
起源だろうと考え
『染井の吉野桜』と
意味をもたせて
ソメイヨシノと
したのだそぅ。。




昔は
桜といったら
山桜だったらしく。。


古の人々も
厳しく寒い
冬を越え
やっと花をつける
その逞(たくま)しさに
色んな臆(おも)ひを
よせたのでしょぅね。








今でこそ
綺麗な桜が
彩り逝けど…






ここはかつて
護良親王が
挙兵した場所。。




草花を
愛し慈しんだ
護良親王が
吉野の桜木を
傷つけなくては
ならなぃなんて…


なんとも皮肉なもの。



きっと
内には
葛藤が
あった事でしょう…






1332年(元弘二年)

後醍醐天皇の息子
大塔宮護良親王が
吉野で挙兵しました。




挙兵したといっても
負けると知ってぃた
時間稼ぎの戦…




千剣破城を完成させ
充分な兵糧を蓄え
楠木正成の軍が
そこで勝つために

死を覚悟した負け戦。





それでも
譲れなぃ念(ぉも)ひ…



平和への覦(ねが)ひ…





たくさんの
ぃのちのぅえに
“いま”が
ぁるのだと。。






喩(たと)え
戦がぁっても
幾年(ぃくとせ)の
時代が過ぎても
桜はまた咲き
散って逝く…




“かわるなか”で
“かわらなぃもの”





山を彩り逝く
見事なまでの桜を
愛でながら。。





結局
吉野で生き延びても
鎌倉の地で
28歳といぅ若さで
亡くなった宮様。。




今は昊(そら)から
大好きだった
吉野の桜を
眺めてぃる
ことでしょう・.+゜・




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  1. 2010/04/10(土) 21:11:06|
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